アコルト(37)
日付が変わる頃、玄関のドアが開いた。
いつものように疲れきった小野がベットに倒れこむ。
「髪伸びてきたな。そろそろ散髪しないか」
さりげなく散髪を促す。
「えー? まだ大丈夫だよ…」
寝てしまいそうになっている相手を布団から引き剥がしたが、また倒れこもうとするので食べ物で釣ることにした。
「平野さんがロールキャベツ作ってくれてるぞ」
食べ物の作戦は上手くいった。うるさいなぁと言いながらもコタツにあぐらをかいて座った。
「ほら、服買ってきたんだ。お前の伸びたり穴あいたりしてただろ? 明日からこれ着ていけ、な? それと、ほら 服の雰囲気に合わせて髪色も変えたらどうだ」
自分でも無理があると思ったが、そんなことどうでもいい。まだ食べている小野の頭におかまいなしにブリーチを塗りこんだ。
鼻につく酷い薬剤の臭い。
目にも刺激が飛んできて思わず顔をそむけたが、小野は気にせずご飯をかきこんでいる。
30分ほど置いて流すと、予定通りダークアッシュに染まった。
元の髪色が明るかったため、染めて逆に暗くなったが、当初の目的通り雰囲気は変わった。
小野が落ち着いた青年に見える。
髪を乾かすとやっと寝れると言って、布団に飛び込みすぐいびきをかきはじめた。
俺は少しの間、小野を見ていた。
時計が時を刻む音が聞こえ、息を吸って吐く、確かに生きているこいつ。
今まで接点のなかった俺たちがこうやって一緒にいる。
お前は一体何をしているんだ。
ふと、視界のすみにリュックが飛び込んできた。
小野の持ち物。
この中になにか証拠になるものがあるんじゃ。
小野は寝入っている。今なら中を見ても大丈夫だ。
俺はそっとリュックのチャックに手をかけた。
音を出さないようにゆっくり開ける。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれたリュックの中身が少しずつ露わになった。
一番上には作業服が入っていた。
無理やり押し込んでいるのか皺だらけで洗っていないのか汚れが目立つ。
作業服をのけると下には服の替え、ヘッドホン、常備薬、楽譜、お菓子類、手帖、スクラップブックなどが出てきた。
特に怪しいものは入っていないようだ。
手帳を取り出すと、ハガキがはらりと落ちた。
結婚式の招待状に対する返信ハガキだった。
出席に◯がついて 「兄貴、おめでとう。 小野真都」 と汚い字で書かれていた。
亡くなったという小野の弟からのものようだ。
兄弟と言っても字は違うものだ。その字は四方に奔放に伸び、力強い字だった。
ずっと持ってるのか……。
よほど嬉しかったんだろうな。
背面にねじ込まれたスクラップブックを開けると、ここにも楽譜が挟んであった。
しかし、これは俺が買ってやった楽譜ではない。皺だらけになって半分以上は血で真っ黒になっている。
……これはアラベスクの楽譜だ。
楽譜の上には小野の字で
「二木律 18歳 R大学O学舎」
と殴るように書いてあるのが目に飛び込んできた。
え……俺?
名前の上に何重にも◯がつけられている。
どういうことだ?
俺は固まった。
あ、俺の名前を覚えるためにメモったのか?
でも確か小野はアラベスクの楽譜は持ってないって言っていた。それにこの血はなんだ?
「何してんの」
気がつくと小野が後ろに立っていた。